古武士1・・・不屈の偉人!

PRINCE RUPERT・・・大きな港町である
私達が係留したのは

RUSHBROOK PABLIC FLOATSである
小型船の船溜まりである
防波堤は浮き丸太で、港内は結構ゆれる

10月30日、銀行、マーケット、海図屋を探しに出かける
途中、PRINCE RUPERT Y.C.(ヨットクラブ)に寄る
83歳の日系二世、JACK TASAKAさんに会った
「君たちが日本から来たカップルか?」
「後から、君らの船へ行っていいかな・・・」

清潔な街である
両替、食糧、ガイドブック、海図
カナダの釣りライセンスなど購入し船に帰る
大きな街なので結構歩いた、帰路はタクシーにした。

戦前は人口の半分は日本人だった
戦争が始まり日系人は全ての財産を没収され
内陸の強制収容所を点々と移動させられた

終戦後、ほとんどの日系人はこの町に帰ってこなかった
ゼロいや、マイナスからの再出発である
TASAKAさんは再起し、食糧難の母国のためと
船を造り、漁をし、缶詰に加工し、日本と水産物の取引を始めた

カナダの日系人社会では
TASAKAさんの名は歴史の一部として浸透している
漁師、ボートビルダー、実業家として
地域の人々から「ジュウドウさん」と呼ばれ、尊敬されていた

オンディーヌの折れたマストをみて
修理の費用に困ったら
私の保証で銀行から借りられる様手配すると云ってくれる
見積もりでは、1万米ドルが必要だった
幸い、保険でカバーできた

寡黙な中にも細々気を使っていただきました
TASAKAさんに日系人としての責任と、プライドを感じました
私達も「恥ずかしくない日本人」として
旅をつづけなくてはと、肝に命じさせられた出会いでした

「今の私のボートはパワー不足・・・
近々、もっとハイパワーのエンジンに変えるんだ」と
おっしゃるパワフルな方でした。

カナダへ

10月29日07時07分
Ketchikan出港
カナダ国境の街、Prince Rupertへは
夜の到着になりそう
途中、Faggy Bayで一泊も考えたが
天気が崩れそうで直行とする
妻は、久々の夜間航行に流木や波、風が心配と言う

13時30分
Tree Pointでアメリカ領とお別れである
955mb、気温11℃、東の風28m
Tree Pointを交すと北東に風は振れ大荒れとなる

さすが、Dixon Entrance!!荒海だ
豪快なランニング(追い風帆走)にアドレナリンが湧く

ランニングは針路が定まりにくい
Main Passageに入るべく針路を取るが
羅針盤不調で陸岸に近づきすぎ焦る

16時ナイトセーリングに入る
灯台、海図、測深、レーダー・・・気持ちを集中させる

20時10分プリンス・ルパート港域にすべり込む

海図にあるブイが無い・・・少し混乱する
Dフロートへ舫いをとる
近くのヨットの住人がコ-ストガードと税関に連絡してくれた

15分程で若い税関職員が登場する
制服、制帽その下は派手なプリントのパジャマ姿だ
気前よく旅券にポンポンスタンプを押しながら
「野菜、果物は船外に持ち出すな・・・早く食べてください!」
「タバコ、酒、銃、ミサイル?の有無・・・ねずみ駆除証明」
一人で防疫、通関、入管をこなしている
半年の滞在許可をくれ、伸ばしたければ電話をくれと・・・
そして「カナダへようこそ!!」とカナダ国旗のバッジをくれた

船を下りて数歩歩いてから振り返り
「バンクーバーの君の友人ビルから何度も電話が有ったよ・・・」
明日、電話しよう・・・