どうして、ヨットで

船長は昔、俗に言う山男だった。ロッククライマーだったのだが、30歳過ぎて突然、海に変わった。しかし、面白いことにその頃の彼の山仲間は今みんな海の男になった(1部山もいる)。

彼らは、山の事故で友だちを沢山亡くし、それぞれ家庭を持ち、より安全な方へとなったことは確かだ。山から海へ転向する人は意外に多いのだ。どちらも自然相手ということでは同じで、自然の中に身を置き適度な危険が心地よいのだ。

山から海に変わるには、それなりの伏線があり、それは船長が子どもの頃、すでにヨットに興味を持ち、「舵」という本を購読していたり、結婚してすぐ、初めての海外旅行でアラスカに行き、そこでヨットを見たこと、アラン・ドロン主演の「冒険者たち」を見てロマンを持ったということもある。

そんなわけで、いつからか彼は私の顔を見ると「ヨット買って」というようになった。朝から晩まで毎日何百回聞いただろう。

4畳半、台所、トイレ共同、風呂なしの古いアパートから始まった結婚生活で、ヨットなど夢のまた夢だった。

しかし、ある日山仲間の2人が、ベニヤのキットでヨットを組み立てているという話を聞いた。「そうか、そこから始めればいいのだ」と私は思った。「欲しい、欲しい」「夢だ」と言っていても始まらない。出来ることから始めるのだ。

私たちは、中古の14フィートのディンギー(小型ヨット)を月々1万円のローンで買い、一年間それに乗って操船の基本を練習した。

毎週末、立川から逗子へ車に船を乗せ通った。土曜の夜に車に泊まり、日曜の朝、デニーズにいって顔を洗いご飯を食べ、海に出た。

一年経ち、ローンを払い終わり、その船を頭金にして今度はやはり中古だが21フィートのキャビンのあるクルーザーを購入した。21フィートとはいえ、ディンギーとは雲泥の差である。木更津のハーバーに置き、初めて第一海堡を越えるときは、ドキドキしその向こうには魔物がいるのではないかと思った。

そうやって、ローンを払い終わっては、また一つ大きくし、最初に夢見てから15年近くかかり、世界一周できるヨットを手に入れた。その船を手に入れるまで、船長は相変わらず言い続けた。「ヨット買って」。彼は友だちのいる小笠原も外国もヨットでなければ絶対行かないといい続けていた。

結果的にかなりの金額になり、それなら私は豪華客船の方が良かったが、彼にとっては、自分の船で、自分のスタイルで行くことに意義があったのだ。それは家一軒動かして行くような究極のわがままで、お米を持ち、味噌、醤油を持ち、沢山の本と沢山の自由を積んだ旅だからだ。

鹿児島・平川港

修理、メンティナンスできることは、何でも自分で

桜島の噴煙・火山灰が作業の邪魔をする

直ぐそばに「浜の茶屋」という旨い飲み屋さん

作業のあと、毎晩通う

我らが愛艇「Ondine」

ポンコツの中古艇を2年かかりで修理、シェークダウンし日本脱出、

太平洋戦争、最初の玉砕の島、アッツ島に寄りベーリング海をとうりアラスカへ向かう。

「グリ」に出会うための冒険がはじまる。