あまりの子犬のかわいさに
「連れて行きたい・・」と言う
それは無理だ
見ていると
港で働いている人たちから
えさを貰っているみたい
6月20日の出発の日までの切ない日々だった
ヨッテー、ヨットのあるライフスタイル
あまりの子犬のかわいさに
「連れて行きたい・・」と言う
それは無理だ
見ていると
港で働いている人たちから
えさを貰っているみたい
6月20日の出発の日までの切ない日々だった
釧路川に掛かる幣舞橋近くに係留する
襟裳岬沖南東46海里、霧の中から漁船現る
「寶輝丸」鮭の刺し網漁の道具を満載
「どこ行くんだ!」「釧路です!」
「こっちだぞー!」と北東を指差す
「これ、持ってケ!」と鮭児2本投げてくれた
「母ちゃんに一本、あんたに一本・・・」
「有難うございまぁーす!!」
霧の中に消えていった
オットセイを沢山見る
写真上 霜婦岩
写真上 角度を変えて
「霜婦岩」誰が命名したのか?・・・寂し過ぎる名前
鳥島と小笠原列島の間にポツンと立っている高さ100メートルの岩だ
トローリングにバラクーダ級の「さわら」ヒット
ズケにして「島寿司」
軽く炙って「さわら茶漬」
この真下は「小笠原海溝・9850メーター」
想像もできない深さ
泣きながら散骨した
紺碧の暖かい海だった
キャップテンは
遺骨の一片を食べた
そして今、私たちの仕事は「風」と言う
海洋自然葬(散骨)の会社をやっている
私たちは泣いています
「パコ」の遺骨を海に還した
私たちが海で死んだら、君と一緒になれる
天寿を全うしたら、ここに散骨する、と約束する
日本のガラパゴス島、小笠原列島・父島に着いたわけですが、この島独自の生態系保護のために、野良猫の対策が急がれている。
友人の奥さんの紹介で、島でただ一人の獣医(都の職員・写真中央)さん(なかなかのイケメン)と相談し、近い将来、避妊手術し家猫として飼う様アドバイス。健康診断も問題なかった。
6月8日、母島から来ていた、民宿の姉妹が引き取ってくれることに。名残惜しそうな妻、ボロンは幸せに暮らしていると、何度か便りが届い。
指宿出港の朝、1992年6月1日、捨てられた子猫を発見
見送りの人たち、誰も飼ってくれないという
「じゃー、小笠原まで一緒に行こう」と妻、
蚤を取り、シャンプー、リンスして乗船を許す
友人の「ケンチャン」のヨットみたいに蚤だらけでは・・・
6月6日父島到着までのセーリングが始まる。
心細そうな子猫、ぼろ雑巾みたいなので「ボロン」と名づける。
修理、メンティナンスできることは、何でも自分で
桜島の噴煙・火山灰が作業の邪魔をする
直ぐそばに「浜の茶屋」という旨い飲み屋さん
作業のあと、毎晩通う
妻は動物好き。
小笠原から沖縄を目指す途中、エンジン故障、換装するのに半年、鹿児島・平川港に滞在・・・夜な夜な天文館に出没・・・。1992年5月