野良犬の親子

あまりの子犬のかわいさに

「連れて行きたい・・」と言う

それは無理だ

見ていると

港で働いている人たちから

えさを貰っているみたい

6月20日の出発の日までの切ない日々だった

濃霧の中から・・・ 1992年6月15日


襟裳岬沖南東46海里、霧の中から漁船現る

「寶輝丸」鮭の刺し網漁の道具を満載

「どこ行くんだ!」「釧路です!」

「こっちだぞー!」と北東を指差す

「これ、持ってケ!」と鮭児2本投げてくれた

「母ちゃんに一本、あんたに一本・・・」

「有難うございまぁーす!!」

霧の中に消えていった

オットセイを沢山見る

小笠原海溝 1992年6月11日

写真上  霜婦岩

写真上  角度を変えて

「霜婦岩」誰が命名したのか?・・・寂し過ぎる名前

鳥島と小笠原列島の間にポツンと立っている高さ100メートルの岩だ

トローリングにバラクーダ級の「さわら」ヒット

ズケにして「島寿司」

軽く炙って「さわら茶漬」

この真下は「小笠原海溝・9850メーター」

想像もできない深さ

散骨

泣きながら散骨した

紺碧の暖かい海だった

キャップテンは

遺骨の一片を食べた

そして今、私たちの仕事は「風」と言う

海洋自然葬(散骨)の会社をやっている

日本のガラパゴス島


日本のガラパゴス島、小笠原列島・父島に着いたわけですが、この島独自の生態系保護のために、野良猫の対策が急がれている。

友人の奥さんの紹介で、島でただ一人の獣医(都の職員・写真中央)さん(なかなかのイケメン)と相談し、近い将来、避妊手術し家猫として飼う様アドバイス。健康診断も問題なかった。

6月8日、母島から来ていた、民宿の姉妹が引き取ってくれることに。名残惜しそうな妻、ボロンは幸せに暮らしていると、何度か便りが届い。

ボロン




指宿出港の朝、1992年6月1日、捨てられた子猫を発見

見送りの人たち、誰も飼ってくれないという

「じゃー、小笠原まで一緒に行こう」と妻、

蚤を取り、シャンプー、リンスして乗船を許す

友人の「ケンチャン」のヨットみたいに蚤だらけでは・・・

6月6日父島到着までのセーリングが始まる。

心細そうな子猫、ぼろ雑巾みたいなので「ボロン」と名づける。

鹿児島・平川港

修理、メンティナンスできることは、何でも自分で

桜島の噴煙・火山灰が作業の邪魔をする

直ぐそばに「浜の茶屋」という旨い飲み屋さん

作業のあと、毎晩通う