古武士2・・・正義の人

8月15日、入院中にNHKの番組に見入っていた
ニューヨーク・ワールド・トレードセンター他のテロ当時運輸長官であった
日系2世のノーマン・ミネタ(峯田良雄)氏のインタビューである

前出のTASAKAさん同様、MINETAさんも
強制収容所に隔離された世代だ

テロ後のアラブ系や回教の信者に対する差別、迫害に異議をとなえた
勇気ある行動のリポートである
今行われている差別、迫害はかつて日系人に対し行われた
「過ちの繰り返し」であると発言し行動した

アメリカという国は
時々集団ヒステリーを起こす(日本もそうかも知れない・・・)
巨大な力を持つ国だから、影響は計り知れない・・・
「BAND WAGON」
「RED SCARE(赤狩り)」など
アメリカの体質は
得体の知れないモノへの強い恐怖感持つことである
そして解決法は「暴力、戦争」に頼ることも多い
民主国家とは思えないことが起こる

この状況下でのMINETAさんの行動は
「正義とは何か」を考えさせられた

この番組の残念なことを一つ揚げると
インタビューアーがお粗末すぎたこと
渡辺謙は有名人かも知れないが
あまりにも無知で勉強不足・・・
MINETAさんとの気持ちがかみ合わない
この人選は失礼すぎると感じた

私達も旅の途中に多くの日系人に出会い、助けられた
そして「勇気、正義、プライド・・・」について
考えさせられた出会いが多くあった
それは、旅からもらった宝物である・・・

番外編(東日本大震災)3・・・より良い国になる為に

あれから三ヶ月が過ぎました・・・

私も気持ちの整理し、前へ進もうと思います。

最近、アメリカと豪州から一時帰国した方と話す機会がありました。
現地の方達の、地震や津波の被災者への思いやりは
とても深いものがありますが
他の面での日本の評判はガタ落ちだと云います。

トヨタ自動車の説明責任の薄さ
原発事故の情報の少なさと遅れ
放射能汚染水の垂れ流し・・・
そして、ソニーの個人情報の大量流失・・・

「日本は三流国だと・・・
かつて世界中から尊敬された日本は今はありません・・・」

電力やエネルギーのこと
今頃になって自然エネルギーを叫ぶ政治家たち・・・
電力にしろ石油にせよ
メジャーと云われるマフィアの様な組織が
小さなアイデアをことごとく潰してきた歴史がある。
巨大企業と結託してきた政治家達には退場願いたい・・・

一時的な混乱と、衰退は覚悟し
広く英知を結集すれば原発無しで凌げると思う・・

今、放射線を浴びつ続けている子供達の
十数年後、時限爆弾のスイッチが入る恐怖を思うと
居たたまれない・・・そんな事は起きないと信じたいが

石油にしても食糧にしても
「先物市場」から外すべきである
一握りの金持ちの賭博的金儲けの為に
不当に高価な生活必需品を買わされる
庶民はたまらない・・・
可能ならば、先物市場は無くなって欲しい

消費税のこと
もし、消費税を上げるのであれば
「食料品と生活必需品」は対象外とすべきである・・・
かつてニューヨークで暮らした、私の経験では
簡素な暮らしをしていれば出費は抑えられた
自炊は本当に安くすみました・・・

消費税は各州政府が管轄し
大きな買い物は他州で購入すると
送料のみで無税となっていた・・・
日本も都道府県ごとに税を管轄すれば
競争原理が働き、地方の財政は良い方向に向かうでしょう
東北以外の住人が東北で買い物をする
東北の復興にもプラスになると思うわけです。

消費税ゼロの日もあり
人々の購買意欲は大いに上がっていました

研究室と現場
原発事故の当初、現場で活躍したロボットは
ほとんどが、外国製であった・・・
「ロボット先進国・日本」はどうしたのか?

踊ったり、楽器を演奏したり、自転車に乗ったり
「ナイーブでロマンチックなロボット達」に出番は無かった
現場とかけ離れた「平和ボケ」したお遊びではなく
それらの技術を現場で生きる準備が無さすぎた・・・

被災地の子供達へ
昭和22年生まれの私は
もの心付いた頃、北海道の帯広に住んでいた
住まいは「満州引揚者長屋」と呼ばれたいた
戦災を受けなかった周りに比べ
私達の住まいは河川敷きのバラックの長屋であった
東北の被災地の光景は敗戦時のそれと重なる

何時も腹を空かせていたが飢えるほどではなかった
「引揚者の子」と虐められたが
団結力のある子供達の負けん気は強かった・・・
親たちは懸命に働き家族を養ってくれた
夕餉の団欒にラジオドラマが子供達の夢を膨らませていた
冬、板壁の間から雪が吹き込み、朝は寝息で布団に霜が積っていた
いま思い出すと親たちの挫折感は大きかったろうが
子供達は、元気一杯に明るく過ごしていた・・・

被災地の子供達は不幸にして
運命に選ばれた子供達である・・・
大人達の落胆は計り知れないが
君たち子供達は
「普通の子供とは違う」と自覚できる環境にある
君たちが、この「平和ボケした日本」という組織に
喝を入れる人になって欲しい
「お笑い」等の軽薄なTV番組に毒されてはいけない
よく考え、行動できる人になってください・・・

義援金
日赤に集まった義援金は、まだ配分されていない
私達は、「ペットを救命」している団体に寄付します・・・
政府も、企業、団体も大きな組織は
動きが鈍すぎるし、信用できない・・・・ので

明日辺りから「グリとの旅」を再開します・・・

番外編(東日本大震災)2・・・思い上がり

地震、津波、原発事故・・・

米軍のニュースを見た・・・
空母から飛び発ったヘリコプターは
目的地を決めず哨戒飛行をし
機長の判断で救助を求めている場へ
着陸して救助活動をしていた
クルーには日本勤務経験者が含まれていた
これは私が求めていた遊撃隊的活動である
真の指揮官は「自らの観察の元、決断をし、実行する」・・・

戦闘慣れした米軍ならではの
臨機応変の活動に感謝します。

原発事故の司令部はどこ?
日本政府
原子力安全委員会
原子力安全保安院
東京電力

いったい何処が主導しているのだろう?
出来の悪い「SF映画」か「怪獣映画」を見ているような・・
当初の判断の遅れが「対症療法」ばかりに追われ
肝心の「原因療法」に切り込めていない・・・!
「安全」と名の付くものは疑うべきか・・・?

事なかれ主義の情報隠し・・・
今頃海外に助けを求めるドタバタ劇
ドイツ気象庁は、早い時期から
「放射性物質の飛散予測」を発信していた
なぜ、日本政府はこの情報を出さないのか・・・?

修羅場に切り込んだハイパーレスキュー隊
中央特殊武器防護隊(自衛隊)の方達の
覚悟と犠牲は生きてこない

有機農法、無農薬など工夫を重ね、農地を育て
海外に販路を開きつつあった農業・・・
山に木を植え豊かな海を造った漁業・・・
日本らしさと、自然の魅力を発信し
海外の観光客を集め出した地方の観光地・・・

苦労が開花しつつあった産業は
「エコで、安上がりで、安全なエネルギー」と
宣伝されていた「原子力発電」に
瞬時に、潰されてしまった・・・

この大変な地震、津波、放射性物質の被災者の犠牲の上に
日本は変わってほしい

テレビ番組は「お笑いと毒舌」ばかり・・・
ニュースにグルメ情報は必要か・・・?
短すぎるコメントしか言えない出演者たち
ニュース番組は深く考える場所にしてほしい
グルメや温泉は、ここには必要ない
テレビは日本人を劣化させている・・・!

日本は「大人の国」になって欲しい
亡くなって逝った人たちの為にも
生き残った私達は
「より良く生き、素晴らしい国」にしなくてはと
改めて思うわけです・・・・

それにしても、あまりに犠牲は大きい・・・
これ以上、更に破滅的な事が起きない事を祈る・・・

「モンスター」をコントロール出来ると信じるのは
思い上がりである・・・

番外編(東日本大震災)1・・・遊撃隊を!

東北・関東大震災発生から一週間がたちました
ブログを書く気分にもなれず
被害にあわれた方達の不幸に涙しています

今日、新たに70家族が漁業監視船に発見されたニュースに驚きました
行政の無策です・・・これでは人災です
まだ、孤立している集落や、個人が居るのでは無いかと心配していいます

陸上自衛隊に提案があります
経験豊かな一、二等陸曹を長にして
本来の命令系統から外し、遊撃隊を組織し
彼等の直感信じ、自由に偵察行動をさせては如何でしょうか?
その後は、ヘリによる救助、物資の投下へと繋がれば・・・

私も四十数年前は自衛官でした
末端の自衛官でも尊敬できる先輩陸曹の指揮下のほうが
大組織の隷下で居るよりも力が発揮されると経験上思うわけです

今は、素早い行動あるのみです
OBとして現役自衛官の活躍に感謝とエールを送ります・・・

「百年兵を養うは一朝のためにある」・・・今がその時です!

アッツ虜囚記

此の年の12月、ヴァンクーバーに船を置き一時帰国した。古本屋でヨットへ持ち帰る本を物色中この本を見つける。捕虜となった一兵士の聞き取りをまとめた本である。

アッツ守備隊は米軍上陸時、すでに飢餓状態にあった。米軍の海上封鎖と悪天候で補給は潜水艦頼みで充分でなかった。

米軍の記録にもあたり彼我の状況も公平に記載している。日本軍の予想外の戦術と抵抗に取り乱す米兵、米兵戦死者から携行食糧を奪ったり、米軍の兵站拠点になだれ込み、その食料を漁り、米兵と戦う日本兵。

それぞれのプライドと、家族愛と、愛国心をかけ、人間くさい残酷な肉弾戦が、わずか半世紀前にこの島で行われた地獄が書かれている。

捕虜となり、尋問の過程で日本人通訳とのやり取りは、このあとカリフォルニアのモントレーでお会いした、日系二世米兵だったA氏の当時(南太平洋で日本兵の投降と尋問にあたっていた)の苦悩のお話と重なり、我々はまだこの歴史の中の登場人物と同じ時間を共有していることを深く肝にめいじた。

カナダでも「収容所から此の町へ帰ったのは私だけだった。」と語る日系老紳士とお会いした。謙虚さと優しさと、明治生まれの気骨ある人柄が、その町で日系人、カナダ人、カナダ・インディアンからも尊敬されていた。日本ではすでに此の様な方たちとは、なかなか会うこともない。