最初のアラスカの旅

今から38年前(1973年)、私たちは初めての海外旅行ということでアラスカへ行った。貧しい結婚生活をしながらも、若いうちになるべく早く一度は海外に出て見たいと思っていた。しかしその頃、海外旅行は貧しい若者にとっては夢だった。

ナホトカまで船で行き、シベリア横断鉄道でヨーロッパへ行こうかなどとも考えた。そんな中で当時は、飛行機でヨーロッパへ行く便は、ほとんどがアンカレッジ経由の北極回りで、アンカレッジまでの運賃が一番安かった。

写真上  ホーマーの外海とキナイ半島の山々

その頃は、まだロッククライミングをしていた船長ににとって、マッキンレイや憧れていたハンチントンを見られるということも魅力で、飛行機代をローン払いでアンカレッジに行くことにした。

旅費は分割の後払いでよかったが、カードなど無い時代で滞在費は現金を作らねばならず、私は着物を質屋に持って行き、10万円を作った。往復の飛行機代は、確か1人11万8千円位だったと思うが、お給料が5万円弱の頃だ。

私たちは当時の船長の親友Sも誘い、3人でアンカレッジへ向かった。現地に着いても1ドルが320円の頃で、ホテルに泊まるなどはとても無理で、私たちは安いレンタカーを借り、ジャガイモと玉ねぎ、ベーコンとパンそれに鍋とフライパンを買いキャンプをしながら、アラスカを周った。

野宿をしていて、狼の声に3人で慌てて車に入ったこともある。真っ直ぐな道がどこまでも続き、全然車に合わないこともあった。ルピナスの花が一面に咲く広大な自然、湖に降り立つ自家用水上飛行機、白夜のサンセットクルーズのヨット、何もかもが日本では考えられない豊かさでショックだった。

私たちは憧れのステーキを食べることも出来ず、一番安いハンバーガーやパンケーキを食べ、マッキンレイ国立公園や氷河を見て周った。6泊7日のドライブを追えて、車を返しに行くと走行距離オーバーで追加料金を払うはめになった。しかしお金も底をついていて、船長はニコンを売る決心をして、買ってくれそうなカメラ屋を探した。

カメラ屋では、直接買うのではなく、欲しがっている客に連絡を付けてくれるという。飛行機の時間もあるので、あせっていたが買い手はすぐに見つかり、思っていたより良い値段で売れ、何とか無事日本へ帰ることが出来た。

ホーマーは、その時初めて本物のヨットを見て、ショックを受けた場所である。