1992年7月4日(アラスカ時間7月3日) アッツ島到着

午前4時12分白と黒のパンダ柄のイルカ100匹以上

「アッツ島はこちらですよ・・・」と先導するように現れる

気温5℃、小雨、視界はよし

VHF(船舶用近距離無線)16チャンネルでアッツ・コーストガードを呼ぶ

応答なし

針路を「殺人岬」に向ける、ロシア領時代アレウト人惨殺現場という

午前6時18分Temnac Bayの岩礁が霧の中から見えた

写真上、Murder Pt.(殺人岬)

残雪の山、荒天の後のせいか、流れ昆布が多くスクリューが心配

海鳥多し、ハンプバック鯨ゆっくりウネリながら泳ぐ

午前7時45分Navy Townへ変針

写真上 左にロランタワーと、右山すそにコーストガード司令部庁舎

桟橋は古い木製で接岸はできなそう

海岸線をトラックが走る、Massacre Bayへ向かう

VHF16チャンネルに応答あり

「21チャンネルに変波せよ!」とコーストガード

「本船は日本の帆船、オンディーヌである。水の補給と休養をもとめる。」

岸に数名の人影、車2台に分乗し人影が増える

「この海岸へ、一人だけ、武器一切を持参せず上陸せよ!」

写真上 崩れそうな桟橋とコーストガード司令部庁舎

沖合いに投錨、しっかり効かせる

ディンギィー(小型の足船)を降ろし岸へ向かう

上陸時、追い波にサーフィングして転覆

冷たい海水に、ブルッてしまう

バツの悪い上陸第一歩