1992年6月21日 釣果

風弱く、さざなみの頭に夜光虫か、海中が生き物のように光る、うねる

流していた針に、烏賊と鱒がかかる

今夜は烏賊でバター焼き、刺身、腸焼き・・・

気温12℃、アッツ島まで1182海里

北太平洋で感じる何か

気温8℃、暖房用ストーブ点火

遠く船種不明のマスト灯

船に寄ってくるミズナギドリ

八宝菜、大根の煮物の夕食

衣類を雨のように濡らす冷たく重い濃霧

牛丼の昼食・・寒いので肉は長持ち

もっと買って置けばよかったと妻

残り740海里、2枚目の海図に替える

パラムシル島南210海里

読書・・・井上靖「おろしや国酔夢譚」

鱒ムニエル、ポテトサラダ・・・オーブン料理

深夜の乗客、ウミツバメ・・・油の切れた滑車のようにキーキー鳴く

もう少し休んでいけば・・直ぐ飛び立ちマスト灯の周りを群舞

あまったポテトサラダのホッカホカのオーブン焼き

大きなうねりに乗り、低気圧に吸い込まれる・・・快走

SW風35m、ビーブーツー(漂流)・・・これでゆっくり眠れる

突然VHF(無線機)に日本語のコール

「日本のヨット、誰か居るのか?」「中で寝てます!」

窓から外を見ると、薄暗い海上に 漁船が大波に見え隠れしている

「気い付けていきなよ!」「ありがとう!!」

低気圧の中心、992mb・・・大荒れの海、妻声なし

上天気図  1~2週間に一回はこんな感じ

食事は乾物をなめ、かじる、のみこむ、後はりんご

嵐去り、炊きたてご飯に野菜炒め、ツナとたらこサラダ

だんだん寒さに慣れてきた

過ぎ去った低気圧を追いかけ、快走、激しいローリング

揺れる船内で体を支え損ない右手親指に激痛

骨は折れてないみたい、亜脱臼・・・妻には内緒

清水タンクが空・・・激しい動揺にパイプ外れる

気圧下がりだす、後ろから台風崩れの低気圧が追ってくる

肉じゃが、とろろ、金平牛蒡

厚焼き玉子の夢を見たと言ったら、昼食に出た

台風崩れは東に去った

しばらく近くにいて、慣れっこになった「僕らの低気圧」も離れつつあり

新しい友達・・・舳先に小型のイルカたち伴走

見えるはずの島が見えない不安

1992年6月24日 陽の光

快晴、4日ぶりに太陽をみる

船内より 外が暖かい

釣った鱒を焼き、ご飯を炊き暖かい朝食

昼食は釧路のSさんから頂いたビーフシチューとマリネ

夕食は「内海さん一家」みたいに痲婆豆腐

荒れた海から開放され素晴らしい三食

「ヨット世界旅―清水の内海ファミリー航海記」の中で

献立「麻婆豆腐」を食べるシーンが印象的

内海夫妻は日本ヨット界の大先輩だ

1992年6月22日 嵐

昼過ぎから風強まる

縮帆(3ポイント)、NE15mの風、波高4メートル

夜になり気温10℃、NE24mの風、ヒーブーツー(漂流状態に)

針路、風向、波高を勘案し消極的だが、これが安全である

暗黒の海に、怪しく光る無数の波頭、北の夜光虫・・・

江戸時代の漂流者「大黒屋光太夫」もこれを見ただろう

1992年6月20日 釧路港から出国

午前中に、出国審査、税関、入管、海上保安庁、各職員来船し現地でお世話にたった人たちに見送られ、12時30分離岸

巡視船「宗谷」のブリッジに「UW」旗が揚がり「航海のの安全を」というメッセージだ、汽笛で送られた。・・・子犬たち、さよなら。

海上は刺し網が多く気が抜けない。妻は早くも船酔い気味。

最初の目的地は、1283海里(約2310キロメートル)先のアリューシャン列島の「アッツ島」だ。この航海のベストシーズンより、1ヶ月遅れとなってしまった。

初日のワッチ(見張り)は寒く眠い。いよいよ北洋と緊張するも、風もなく霧もなく、少々気が抜ける。

ワッチオフ、暖かい寝袋の中で行きつけの居酒屋、四谷荒木町「桃太郎」の夢をみる

陽気な客のN氏、流しの「マレンコフ」、不機嫌な主人、多くの女性客・・・・