私は、前にも少し書いたが、かなり臆病である。高いところから落ちる乗り物やお化け屋敷、ホラーが駄目である。
子どもの頃潮干狩りに行き、潮が満ちて来たというのを聞いてあわてて、妹の手を引いて沖に向かって走って行ったことがある。沖にも家が見えて陸と勘違いしたのだ。方向音痴でもある。
ロッククライミングなんて絶対出来ない。それでも「一番易しい所だから、女の子でも大丈夫」と聞いて、北穂高岳の東稜について行った。新婚の頃で、船長の友だちも一緒だった。
上高地から涸沢までは何度か来ていたし、登山も嫌いではなかった。涸沢から北穂まで、途中の急な雪渓もなんとか我慢してついて行った。ついにゴジラの背中と言われる壁に来た。友人が先に行き、次が私。「ザイルを付けているから大丈夫だよ」と言われ、壁にしがみ付き、切り立った壁を蟹のように横へ、岩にお腹を付けて移動する。足下はやっと靴のつま先が半分乗る位の岩で、そこから下は何百メートルもストーンと落ちた崖だ。進むしかないのだと思いながら、必死に岩にしがみ付き進んだ。
真ん中まで来て、足が震えだした。怖くて堪らない。怖すぎて自分から手を離して落ちてしまいそうである。私はどうしようもなくなって
子供のように「ワァーワァー」泣いた。
しかし、泣いてもどうしようもない。自力で進むか戻るかしなければ、状況は改善できない。泣いたら少し落ち着き、前へ進んだ、真ん中にいたのだから、前進の方が良かった。
そこに来るまでの過程でもう充分怖いのを我慢していて、それ以上凄い所があるなど思ってもいなっかたのだ。
後で聞くと、そこを通らなくても後ろに普通の登山道があったという。彼らはロッククライミングを楽しむためにそこを通ったのだ。
その後も、北穂高に登り、奥穂高岳に登り、白馬岳に登った。しかし、決してロッククライミングはしない。
そして、海。未だに、ヨットがヒール(傾く)するのが怖い。強風も高波も怖い。暗闇も怖い。
それなのになぜ、ヨットで旅行するのか。臆病者のくせに好奇心が人一倍強いこともある。でも、一番の理由はやはり船長のロマンを共有したかったからだ。
出港前に本を読んだ。あらゆる漂流本。人はどうやって嵐の海から逃れ、漂流を生き延びるのだろう。何分息を止めていたら、水中から脱出できるのだろう。
最後は「アウト・オン・ア・リム」シャーリー・マックレーンの自伝だ。人は何度も生まれ変わる。その本の説得力に圧倒され、私は信じた。もう、怖くなかった、死ぬことも。
今、私は生まれ変わりに関しては分からないと思っている。