パコのこと

パコは、ガーフィールドのようないわゆるオレンジキャットである。立川のアメリカ村に住んでいる時、あんまり可愛いので日本人と結婚した米軍の兵隊さんから譲ってもらったのだ。

裏の家で生まれたのだが、パコが来てからその兄弟、姉妹も家に居ついてしまった。日本式に言えば茶トラの3兄弟で、パコが中ぐらいの大きさで、他は名前も大ちゃんと小ちゃんになり、後から生まれた妹はキジトラでお腹が白く、雰囲気がミニクーパーみたいだったので、クーパーという名になった。

クーパーも性格が良く皆に可愛がられたが、パコの可愛さは抜群だった。おっとりしていて物怖じしない、だけど気が強いのだ。自分を猫だと思っていないで人間だと思っているようだった。だから猫とは付き合わない、猫嫌いで側に来させない。でも、人間は大好き。人見知りなど全然しない。

乗り物にも強く、車でもバイクでもヨットでも泰然自若。私には恋人のような存在で、私が悲しい時には慰めるように側に来てくれた。でも浮気者で、ちゃっかりよその家でも「タイガー」と呼ばれ可愛がられていたりした。我が家は猫が多すぎて、家出をしたことがあったのだ。1匹で可愛がられたかったようで、それ以後彼だけ個室になった。

(撮影  山口悟史)

パコにはファンが多く、専属のカメラマンまでいた。山口さんはプロカメラマンだが、猫の写真は趣味で野良猫などを撮っていた。それで時々来てはパコを中心に沢山の写真を撮り、白黒で現像しては持ってきてくれた。

当時のアメリカ村は、猫を飼うには最高の場所で、広い芝生にボロ屋だが、隣近所はほとんど空き家で、自由に放し飼いが出来た。しかし、その頃は猫エイズのワクチンはまだなく、パコも7歳で死んでしまった。

パコは旅が出来る猫で、本当に一緒にヨットで行きたかった。

当時、散骨の仕事をするとは夢にも思わず、海を旅するからパコを散骨にしたのだが、骨を細かくするという情報もなかった。どんな形でもいいから残したいとも思った。剥製でも三味線でもいいから側に置いておきたかった。