ホーマー(Homer)へ・・・1

07時バック湾抜錨、他の船はまだ眠っている

時々ブロー(突風)は有るものの海況は悪くない

 

マーモット海峡(Marmot Strait)へ

「幅2、5海里の狭い海峡、危険な海岸

水深は浅く、潮流は早い・・・」と水路誌に記載されている

西の風16m、いやらしい波がたっている

潮目に海鳥がダイブしている

写真上  コーストガードの船にしばし注視される・・・南に去る

四時間かけ海峡を抜けさらに一時間ほど最悪の波

まだ時間は早いものの少々めげ始めている

Tonki Bayへ逃げ込むことにするも更に大波に苦戦す

 

「錨泊地は西湾と東湾二箇所あり、小型船は東湾の最奥の海岸近くの水深14mの泥の海底に投錨すれば、ほぼ全ての天候から守られる・・・」と水路誌

写真上  錨泊中の漁船

15時30分、東トンキイ湾の中に漁船数隻錨泊している・・・彼らも避難組みたいだ

投錨すると一隻に近すぎる・・・距離を取り移動し再度投錨する

その間暇そうな漁船員達に注視され・・・バツが悪い

二度目の投錨が終わると親指を立てニヤリと笑われた!!

他人の離岸、着岸、投錨作業ほど面白い見ものはない!

船長、クルーの技量が丸見えになる・・・

 

夕食、鮭炊き込みご飯

写真上  月下の錨泊地

右舷西側に月と高い島影・・・記憶してベットのなかへ

深夜、浅い眠りから覚め右舷を見る

高い島影が無い!!

慌てて、周りを見ると左舷にそれは有った

風が逆転していた・・・こんな時何があっても驚く!

出発の準備

船長が40歳を過ぎた頃、いよいよ世界一周を実現させるべく、そのための船を探し始めた。新艇など到底無理であるから、30フィートクラスの中古艇を探していた。いろいろ見ているうちに、ヴァンクーバーから世界一周をして日本に来た家族が船を売りたがっているというニュースが入ってきた。小学生低学年の男の子と幼稚園くらいの男の子を連れたお医者さんの家族で、仕事の関係で子ども2人と旦那さんは先にカナダへ帰り、奥さんが一人船に残っていた。

私たちは、予算内で思いがけず38フィートの船を手に入れることが出来て、有頂天だった。彼女がカナダに帰った時、船には子ども達が大事にしていたという、ミスターブラウンベアとミスターホワイトベアの2匹のぬいぐるみが残されていた。それは今も船の中で私たちを見守っている。

船を手に入れてから、船の大改造をしたことは、前にも触れた。日本からアメリカへヨットで行った人は、堀江さんを始め大勢いるが、ほとんどは太平洋を直接西海岸に行っている。

私たちは、最初からアラスカ経由を考えていた。2ヶ月も陸を見ないで行くより、出来るだけ沢山寄って行きたいことと、気象・海象を考慮すると合理的なルートであること、最初の海外旅行の地アラスカには是非行きたかったからだ。

船長は、周到な計画を立てていた。そのために必要なものを買いに、2人でホンコン、ロサンゼルス、サンフランシスコ、ニューヨーク、ボストン、ロンドン、パリと飛び回った。主に海図を手に入れるためだが、水路紙や航海のガイドブック、船の部品などを求めてだ。無寄港世界一周なら、ほとんど海図はいらない。しかし、港港を廻るには、膨大な数の海図が必要なのだ。船長は水路紙やガイドブックを英語の辞書を引きながら一生懸命勉強していた。おそらく海外を目指す「長距離航海者」としては、一航海が最も短いコースをたどる航海者だろう。

90年の11月末には、成田からダラス経由でニューヨークへ行き、12月2日にはロンドンへ行っている。そのロンドンへ行く飛行機で事件が起こった。突然人が亡くなったのである。勿論病死だが、飛行機は大西洋の真ん中で突然Uターンし、ニューヨークへ戻ってしまった。そこで亡くなった方を下ろし、再び飛び立ったのは、全てのフライトが終わってからの深夜だった。

次の日の朝、ロンドンに着き、ホテルに荷物を置くとすぐに目的の海図屋へ行き、夜は焼き栗を食べながらパブへ。翌日は船長はヨットショップ、私は念願のロンドン塔へ行った。1人で行くのは勇気がいったが、15,16世紀の歴史に興味を持っていた私は、どうしても行ってみたかったのだ。と言っても私はかなりの臆病者で、ホラーもお化け屋敷もジェットコースターも駄目である。実は船長もそうなのだが。でも、私は、絶対に霊や幽霊には出会わないと信じていて、ロンドン塔でも寒気さえしなかった。

ロンドンに3日、パリに3日だった。パリはボートショーが目的だった。さすが東京とは規模が違う。あらゆる物があり、特にいろいろなパーツがあるので、船長は大満足だった。そして屋台の生牡蠣、白ワインの美味しいこと。

写真上  私たちは、そこで目的だったアクリルのドームを手に入れた。それはキャビンのハッチに付ける物で、それを付けると船室に居ても外を360°見渡せるのだ。

最後の日、パリ郊外クリニャンクールの蚤の市に行った。12月のパリは美しく飾られたシャンゼリゼ通りと澄んだ空気、底冷えのする寒さだった。

コディアック(Kodiak)島出港

2時間ほどで油圧のパイプ交換し

広い海域でテスト航行・・・OK

やはりオンディーヌの舵効きは敏感で、それなりに気をつけたほうが良いとのこと

これ以降、故障はなくなった

 

コディアックベア(アラスカ最大のヒグマ)には会えなかった

 

「カタプール」のパットはヨットをここ上架し越冬させ

家族とフロリダへいくという

8月24日「ハリケーン・アンドリュー」がフロリダに壊滅的被害をあたえた・・・風速68メートル

すでにパットは電話で現地の建設会社と契約し大工として働くそうだ

「出産費用が大きかったからね・・・」と

「来年再出発だよ・・・」と

 

カタプールの一家を招いて

ささやかな、出産祝いをした・・・すき焼き

日本の活字に飢えていた奥さんは本棚の中から

アラン・ボンバール著「実験漂流」を選び読みたいと言う

友人からプレゼントされた古い本だ

まだ読んでいなかったが貸した

 

9月5日(土)鶴田さん母子に見送られコディアックを出港

九日間の滞在中、奥さんには大変お世話になった

車を出して頂きスーパーマーケット・セーフウエイで大量の食料買出し、洗濯、入浴など細かく気を使っていただいた

そろそろ旅に疲れ始めた妻の好い話相手になってくれた

妻の手作りのアップルパイでオンディーヌでのお茶(アフタヌーンティー)も付き合ってくれた・・・有難うございました

 

五時間の航海でアホグナク島(Afognak)のBack Bayを目指す、途中、目の前で鯨が跳ねる

写真上  若干荒れる海を走る「カタプール」

先行していたカタプールが引き返してくる

VHF(無線)で「ワイフの具合が悪いので戻ります・・・」と

我々の見送りがてらバック湾でピクニックを考えていたが

以外に風も波も悪く帝王切開の病み上がりでは無理だろう

「実験漂流」はかえって来なかった

 

ラッコが泳ぐバック湾に投錨

写真上 森の中の錨泊

 

チンジャオロースとイクラ醤油漬けで夕食

妻は疲れて就寝、私はホーマー(Hommer)までの海図を研究

明日からは難コースが待っている

風は無く静かに揺れる・・・夜

コディアック(Kodiak)島・・・4

コディアック島滞在中に9月に入ってしまった

写真上  草原も秋の色に染まる

修理が終われば冬に追い付かれる前に南下したい・・・

心は急き、どこか心から楽しめない自分がいる

写真上  サーモンシーズンも佳境に入る、河口に沢山のアマチュアフィッシャーマン

写真上  満面の笑み・・・鱒も釣れた

アマチュアは一日のリミット(三匹)が決まっている

平日も朝夕釣り人は河口に集まる

沢山釣って、自家製の燻製で冬を越す楽しみ・・・

写真上  海水から真水へ入ると・・・顔もいかめしくなる

肉も締まり、いくらは成熟して旨みが増す

鮭は、これ以上上流に上ると食感がおちる

写真上  鮭を焼く匂いが風に乗ってくる

陸地で秋の収穫を享受している家族がいて

海をさまよう我等ヨッティーが少し阻害感をもつ一瞬・・・

 

私たちは、早く南に下らなくては・・・・

コディアック(Kodiak)島・・・3

オンディーヌは船尾に日の丸を揚げている

日本船籍の船は海外でも国内でもそうすべきだが・・・・国内ではあまり見ない

 

「日章旗」を見て多くの人がオンディーヌへやって来る

写真上  リチャードさん夫妻、英国の観光客、「世界一周なら我が家にも来て!」と

写真上  ミッチェル君、上智大の留学生、夏休みのアルバイト(漁師)をして稼ぐ・・・今付き合っている「日本人」学生の気持が解らないと・・・妻に聞いていた・・・そんなこと解るはずないと思うけど!

写真上  若い漁師のカップル、ショーンさん夫妻 鮭をプレゼントしてくれる。「シアトルに来たら電話して・・・」と、夏はここで働いていると

写真上  「見慣れないやつ・・・!」と覗き込む猫ちゃん

写真上  覗いていたのに触られるのは「ヤダ・・・!!」

写真上  尾崎さん夫妻 夏休みを森の中の素敵な山小屋を借り過ごしていた・・・車で島内をドライブしてくれた

 

他に、写真は無いが妻がピクニック用に握り飯を作っていたら、桟橋に日本人が立っていた。島の河川に採掘権を購入し「金」を掘っているという。食料の買出しに町に出てきて「日の丸」を見で来た・・・妻が「お一つどうぞ・・・」と握り飯を盛った皿を差し出すと、アッと言う間に五つは食べた・・・「金」はちっとも出ないし・・・懐かしい日本食に泣きそう・・・・だった!

コディアック(Kodiak)島・・・2

コディアック(Kodiak)島での課題は

税関にて「航行許可証」の一ヶ月延長・・・マスト破損が理由

自動操縦装置のチェック・・・現地代理店「レーダー・アラスカ

不足分の海図の入手・・・

食料購入・・・など

そして、コディアック・ベアーにも会いたい!

 

写真上  漁船の囲まれたオンディーヌ(キャンピングカーの奥)

 

税関は好意的に延長の応じてくれた

自動操縦の件は、オイルのラインも交換したほうが好いという

部品到着に一週間、時間が勿体無いがしょうがない

海図は次の町、ホーマー(Homer)までは購入できたが、その先はホーマーで入手できそうだ・・・船具屋で確認してもらう

 

市街地以外は草原と森、久々の大木を見て妻は感動している

舗装道路、汚い自動車、銀行、車のディーラー、ラリッタ労働者、酔っ払い、マリファナの匂い、混み合うコインランドリー・・・活気ある田舎町である

 

サンドポイントのインゲさんの支社にて東京からのFAXを受領

ここでマルハの現地法人副社長の鶴田さんを紹介される

夕食の招待をうける

写真上  鶴田さん一家とマルハの片岡さん(青いシャツ)

 

ぶあついステーキ、お刺身、大盛りのサラダ、ワインビール。広い庭の豪邸、大きな食堂、食事の前に入浴「日本の名湯・登別温泉」まで

片岡さんは大洋漁業の元三等航海士で北の海について興味深い話を伺う

デスマストの話をすると「あまり保険屋をいじめないで・・・」と言われる

鶴田さんの奥さんは、単身赴任の日本人社員の食事(アメリカ式のブッフェ料理に疲れた胃袋を日本料理で癒す)などの世話をしていて忙しそうだ・・・駐在員の奥さんも大変だ

子供たちは明日から現地の学校へ初登校・・・日曜日に釣りの約束

そして、お父さんは仕事に忙殺されていた

 

美味しい料理、温かいおもてなし有難うございました。

コディアック(Kodiak)島・・・1

8月26日19時20分、コディアック(Kodiak)港ハバーマスタへ入港の許可をVHF(無線)にて求める

「しばし待て・・・」と

薄暗い中、すぐ脇にセスナの水上機着水して驚く

写真上  港の水路近くに着水するセスナ

 

「スモールボート桟橋の奥へ」と指示あり

暗くなってしまった・・・恐る恐る入港していく

 

日本語で「こっち!こっち!」と女の子の声・・・!

ダッチハーバーで会った「カタプール」のパット・アトレーさんと女の子がゴムボートに乗り、懐中電灯で海面を照らしてくれる

港の入り口近くに赤い船体の「カタプール」と

フランス艇「ジャバデュー」が舫ってある

ニコニコ元気な女の子は「海(うみ)でーす・・・!」挨拶してくる

無線を傍受し待っていたという

 

通常、外来艇は港口に近いところ

地元の船はウネリの入りづらい内側に舫う

サーモンシズンで港は混雑していた

奥がたまたま空いていてラッキーだった

 

舫いを手伝ってもらい

簡単に食事を済ませ「カタプール」へ

「カタプール」は家族四人になっていた

写真上  アトレーさん一家

日本から空路、奥(まどか)さんと海ちゃんが到着し

三日前に奥さん帝王切開で出産

出来れば地元のアレウト族の産婆に頼みたかったが・・・

驚いたことに帝王切開の出産で入院は二日のみ

通常の出産なら日帰りだそう・・・

費用は100万円かかったそうだ

 

奥さんはお腹が痛いと言いつつ幸せそう

海ちゃんパット以上に母親を気遣っている

パットさん、良かったですね・・・!!

 

コディアック(Kodiak)への航海

コディアック島はアラスカ西部のメジャーな漁業基地の一つである

人口は3500人前後だがサーモンシーズンには多くの労働者が流入する

 

直行で46時間位、途中で一泊するかは悩むところだ

初日の夜間航行で一部詳細な海図がない

波の静かな夜、比較的背の高い岩壁の海岸線はレーダーに良く映り

・・・・切り抜けホッとする

 

二日目午前6時、Castle Bayの特徴ある岩峰が自船の位置を確信させる

大型の漁船が複数操業している

外洋性の大きなうねりは気にならない

写真上  キャッスル湾、いかにも西洋のお城(ゴシック風、二本の岩峰)・・・この裏に良き錨地あり

天気図を見、コディアック島へ一気に走ろうと決める

鯨を良く見る

16時50分北西の風になり

ランニング(追風走)となる

病み上がりの自動操縦を解き、自ら舵を持つ

写真上   夜が迫る

Trinity島の浅い海域(水深40~50m)では

風が振れ南風に変わりウネリが島へ針路を寄せる

トリニティー島に続くTugidak島は

北側にあり平らな地形でレーダーに映りにくく

怖がりのせか、ついつい予定コースから沖合いに針路を選び時間を食う

浅い海が巨大なウネリを発生させる

写真上  新月の夜が近い・・・闇夜の追い波は嫌いだ

 

翌朝南西の風25メートル

プレーニング(追い波に乗り滑走する)で

8ノットを越え進路が一定しない

自ら舵を取るが、これが疲れてしょうがない

時々、巨大な追い波が迫り、座っていても思わず立ち上がりそうになる

恐ろしい!!

明るいうちにコディアック港へ入港できればラッキーだ

疲れは頂点だ

有難うダグ・・・6

8月21日

ダグの船が帰ってきた

ピーターパンからVHF(無線)で連絡

今日の飛行便リストに君の荷が乗っていると

 

ヒッチハイクで飛行場へ

低い雲の中からYSー11が着陸する

日本製の飛行機になんだか感激する

 

部品ではなくオイルプレッシャーの完成品がはいっていた

手馴れた手つきでラリーがエアーを抜きながら装着

風雨の中港外で試運転

若干ふらつくも問題なし・・・マッチングし安定する

手紙には船の長さ、重量はこの機械にマッチしているが

この船が敏感すぎるので

もうひとつ大きめのオートパイロットの選択がベストだと

条件が一つ、コディアックの正規代理店で「装着の検査」だ

写真上  朝夕の散歩・・・寒くなってきた

アラスカの夏はもう終わるという

ダグも早く南下せよと

ダグの船の給油時、我々も給油・・・ダグが支払ってくれる

この夜、海図、水路誌を前に

これからのルート上の避難港、湾のレクチャーをうける

アメリカ・ワシントン州ベーリングハム(Bellingham)の住所を貰う、ダグの自宅である

「困ったことは、いつでも連絡せよ」と

 

12日間の停滞でマストも自動操舵も修理は完成・・・気力も充実

天気図を検討

明日、出航を決める

 

この後、ダグにはヴァンクーバー、ベーリングハムでもお世話になる

有難うダグ・・・5

悪天候で飛行便が欠航したり

注文の部品が手違いで、一部遅れたりして

たっぷり読書ができる

夜更かし、朝寝坊のパターンに入り込む

河出書房新社「ギリシャ」

「中世ヨーロッパ」

「絶対君主の時代」

「近代への序曲」

「大唐帝国」

 

プラトンの弟子アリストテレスが

マケドニアの王子アレキサンドロスの家庭教師だった

プラトンの「哲人王」を学んだと思うと興奮する・・・

 

かつて私は、アフガニスタンやフンザを旅したが

エーゲ海、黒海、小アジアも航海したくなる・・・

 

エラスムスは「プラトン風の哲人政治」の理想をとく

「平和の嘆き」・・・古代哲人の知恵とキリスト教の真理の一致?

 

私のような零細企業の経営者は「プラトン好き」が多い・・・

 

アー! 支離滅裂に面白い・・・!!