川で洗濯・・・青キツネをみる

昨日、14日ぶりに揺れない硬い地面を踏んだ

「上陸はしても良いが、海岸線の道路以外は踏み込むな!」

「未処理の地雷が無数にある!」と司令官

上陸、島の草原はルピナスの満開だ

溜まっていた洗濯物をもって川へ降りる

直ぐめげてしまう、川の水はあまりに冷たい、雪解け水である

ロランステーションで洗濯機を借りればよかった

 

海岸線で餌をあさる小型の動物を見る

写真上 沖にオンディーヌ 海岸の灰色の砂利の上に狐(小さい)

青キツネだ!

とても痩せて後ろ足を引きずっている

冬毛が夏毛にはえかわる時期なので

ボロキレをまとい、足を引きずり敗走する日本兵を幻視した心持だった

足の負傷は残置地雷か、トラップのせいか

今は狩のシーズンではないので、少しは安心か

散歩に切り替える

気温は低いが、花を摘む妻は満足そうだ

アッツの短い夏の始まりか

タラが大漁

昨夜仕掛けた針にタラがいっぱい


早速解体し、お昼に「フリッター」にしておいしく頂く

残りをぶつ切りにして蟹取り網に入れ半日

水揚げしようと引き上げる

写真下の様にピカピカの骨になっていた

再び蟹トラップをセットし海中に下ろし30分後

揚げて驚いた、小さな海老状のプランクトンが蛆虫のように取り付いている

この海で遭難死したら我々もきっと綺麗な骸骨になるのだろう

奇妙な諦観が私を包み込んだ

この海で戦死した、日米の兵士たちも静かに綺麗な骸骨となり眠っているのだろう

 

オケラネット(外洋ヨットの無線ネットワーク)で無寄港世界一周中の「キューリ(海連 今給黎教子)」と通話

「そろそろ、黒潮に乗れそう・・・暑くて参っちゃう・・・」

「こちらは気温8℃です・・・寒くて・・・」

かみ合わない会話を楽しむ

ご婦人を見学に

写真上 ポート先端左舷にサッポロビール1ケース

 

非番の隊員が我々を見にくる

カルキくさい消毒済みの水70リッターも搬入してくれる

島の生水は寄生虫に汚染されているとのこと

驚いたことに船はこのボート一隻だけ、大型船はここにない

この地方の荒天に船の安全を確保できる港がないそうだ

好天時、アラスカ本土からの飛行便とたまに来る船便が頼だ

住人は男性隊員21名とセントバーナードと黒犬のミックスが一匹だけという、名前は「COCO」、「COCO」は正式なコーストガードの隊員であり、認識票も発行されているという。

ロランステーション(隊舎)に案内され熱いシャワーで入浴

食堂で大きなステーキとホカホカのポテトのサワークリーム添えを頂く

今日は7月4日独立記念日で、特別ディナーだそう

久々の好天で日本人カメラマンとステーキが、C-130輸送機で運ばれてきたのだと

隊舎の中は清潔にピカピカに磨き上げられていた

隊員たちは一年間この辺境の勤務が終わると希望の任地が得られるそうで、やはり、南国のハワイがダントツ一位、フロリダは麻薬がらみで今ひとつ人気がないそうだ

帰路もボートで送ってもらう

お礼にサッポロビール1ケースをプレゼントする

住人はコーストガード21名

Casco Coveに投錨したオンディーヌ

雲が低く垂れ込め、気温も低いが、南以外の風から守られた良い泊地

小型のボートに3人が乗って来た

司令官、副長、そして日本人カメラマン・・・!?

「本官は C.W.O.Mike Joyce

Coommanding Office

U.S.Coast Guard Loran Station Attu.である。」

「この島へは、米本国からの上陸許可がなければ、入域、上陸は許されない」

「しかし、清水の補給、船の修理、乗員の休養であれば、私の権限で許可しよう、乗員名簿と要望書を提出しなさい。」

「機械のの修理が希望であれば、修理工場を使ってよろしい!」

 

「それにしても、ご婦人を見るのは何ヶ月ぶりかなー!」とにこやかにハグされる。

アッツ島玉砕のこと

写真上 日本軍の陣地あと

 

私たちがアッツ島についた50年まえ

1942年(昭和17年)5月日本軍がアッツ島を占領した

ミッドウエイ作戦の陽動上陸作戦だった

翌年5月29日、山崎保代陸軍大佐指揮のアッツ守備隊は玉砕した

太平洋戦争最初の玉砕であつた

日本軍の戦死者2638名、俘虜27名(29名という説あり)

米軍は空母を含む機動艦隊の支援のもと

一万一千の上陸部隊を投入し、戦死者550名、戦傷者1500名

戦傷者のかなりの数は凍傷で、この島の自然の過酷さをおもわせる

オンディーヌが投錨している海岸から米主力が反撃上陸した

日本軍の粗末な陣地、たこつぼが水溜りとなって残っている

米軍が残した朽ち果てたドラム缶の山が、物量の違いを見せ付けてい

飛行場脇に日本軍遺族が建立した慰霊碑が立っている

案内してくれたコーストガード司令官とともに黙祷した

米軍は、日本軍の勇猛果敢さに敬意を表し

山崎大佐の戦死地点「戦闘工兵の丘」にモニュメントを作った

写真上 米軍の残した物資残骸

この家でグリの誕生

グリの実家、フィンリーさん家族

ヴァンクーバーに住むフィンリーファミリーとは1991年6月に小笠原の父島で会った。彼らは家族5人ヨットで南太平洋を廻り、父島に来た。私たちが日本近海を廻っている間、東京湾のヨットハーバーの私たちの場所を提供したので、彼らは東京見物をし、秋葉原、デズニーランド等を楽しみ帰国した。

小学校の先生だったお母さん、ワイルドな実業家のお父さん、長男モーガン、長女のシンディ、末っ子ニコラスは小学生。そして泳ぐ猫「タイガー」が一緒だった。でも、残念なことに帰路その猫は、太平洋を泳いでいて消えてしまった。

写真上 グリのお母さん 右から2匹目がグリ

ヴァンクーバーでは、フィンリー氏に大変お世話になった。

パコが亡くなってしまってから、私たちはヨットの旅に猫を連れて行くのは諦めていた。それは適応できる猫が身近に居なかったこともあるが、狭い空間に閉じ込めることが可哀想だったからだ。

それがひょんなことからグリが乗るわけだが、それはまだ1年も先の話しになる。

グリは、6匹兄妹で、オスは2匹。シンディから、「どうしても1匹貰ってほしい、そうでないと保健所行き」と言われ、一番やんちゃなグレーの子猫を選んだ。

写真上  グリの来た日・・・お昼ねから目覚めて

名前はその場ですぐに決まった。

ミスター・カナディアン・グリズリーベアは、毛布をお母さん代わりにして、ヨットの暮らしに直ぐ馴れた。

闘病生活・・・ヨットの食事

私たちは海もヨットも好きなので、毎日単調に海ばかり見ていても飽きないのですが、その中で食事はやはり最大のイベントです。

海が静かなときは、天ぷらも出来るし、ガスコンロはジンバル(船が傾いても常に水平を保つ)なので、動いていても深めのお鍋で煮物をしたり、圧力釜でご飯を炊きます。

そして船の旅の良いところは、本を沢山読めること。テレビもないし、食事の支度とワッチ(見張り)意外は読書三昧です。

誰が言ったか、ヨットの旅は闘病生活に似ている。運動不足にはなります。

なかなかグリが登場しません。船長のストーリーの間に私も時々入ります。グリも出したいですね。

1992年7月4日(アラスカ時間7月3日) アッツ島到着

午前4時12分白と黒のパンダ柄のイルカ100匹以上

「アッツ島はこちらですよ・・・」と先導するように現れる

気温5℃、小雨、視界はよし

VHF(船舶用近距離無線)16チャンネルでアッツ・コーストガードを呼ぶ

応答なし

針路を「殺人岬」に向ける、ロシア領時代アレウト人惨殺現場という

午前6時18分Temnac Bayの岩礁が霧の中から見えた

写真上、Murder Pt.(殺人岬)

残雪の山、荒天の後のせいか、流れ昆布が多くスクリューが心配

海鳥多し、ハンプバック鯨ゆっくりウネリながら泳ぐ

午前7時45分Navy Townへ変針

写真上 左にロランタワーと、右山すそにコーストガード司令部庁舎

桟橋は古い木製で接岸はできなそう

海岸線をトラックが走る、Massacre Bayへ向かう

VHF16チャンネルに応答あり

「21チャンネルに変波せよ!」とコーストガード

「本船は日本の帆船、オンディーヌである。水の補給と休養をもとめる。」

岸に数名の人影、車2台に分乗し人影が増える

「この海岸へ、一人だけ、武器一切を持参せず上陸せよ!」

写真上 崩れそうな桟橋とコーストガード司令部庁舎

沖合いに投錨、しっかり効かせる

ディンギィー(小型の足船)を降ろし岸へ向かう

上陸時、追い波にサーフィングして転覆

冷たい海水に、ブルッてしまう

バツの悪い上陸第一歩

1992年7月3日 アッツ島まであと一日

昨日午後6時、1867年締結のロシア、アメリカ海上国境通過

海上を流れるジャイアントケロップが多くなる

ヌメリのある黒い大蛇のようで、不気味な姿に初見時は驚く

見慣れた外洋性の鳥に、カモメやコアホウドリも交じり陸地の近さを感じる

妻は英語の辞書

私はパイロットブック熟読、詳細海図(#16432)を復習

午後9時ころには暗くなりだす

午後10時、最後のウェイポイント、通過し詳細海図へ入る

北緯52°16′26 東経171°26′44 あと61、87海里

夕食、豚ヒレ肉トマト煮、ナス味噌炒め、ポテトオーブン焼き

曇り、気温6℃、SE8メートルの風、艇速6.4ノット

1992年6月21日 釣果

風弱く、さざなみの頭に夜光虫か、海中が生き物のように光る、うねる

流していた針に、烏賊と鱒がかかる

今夜は烏賊でバター焼き、刺身、腸焼き・・・

気温12℃、アッツ島まで1182海里