WILLIWAWの村・・・2

夜半から小雨、朝になり風強くなる

この辺の魚加工業は「ピーターパン シーフーズ」が仕切っている

電話やFAXを使わしてもらい東京と連絡もスムースだ

Alaska Marine PilotsのキャプテンW.コークさんからこの海域の詳細潮汐表を頂く

事務所の女の子から食券をプレゼントされる

結構おいしい!

午後は、自動操縦の破損箇所を見るも油圧系は素人には難しすぎる・・・専門家の助けが必要だ

これから錨泊は増えるので予備の錨、鎖、ロープのチェック

漁船「ミスティー」船長からシャワーの誘い・・・ピーターパンへ

夕方、丘の上のバーへ「ミスティー」の船長も一杯やっている

「君等、歩いてきたの?勇気あるね・・・熊が居るよ・・・」

船長、女性バーテンダー、アレウト人からビールプレゼント3杯も

妻はワイン・・・「酒くさいと熊が寄ってくるよ!」といわれる・・・早めに帰ろう

バーの客は車で来ている

熊と酒酔い運転はどちらが危険・・・?

WILLIWAWの村・・・1

7月30日、物音で起きだすと投錨作業中の漁船

「気まぐれ号(Caprice)」

そそくさと作業を済ませ、手を上げ挨拶して、船内へ入り出てこない

彼らも荒天に疲れているのだろう

08時、「気まぐれ号」を起こさないように静かに抜錨

湾外は昨日とうって変わってフラットカーム(凪)だ

Pankof岬灯台をかわし暗岩(水面に隠れた岩礁)の多い海域へ

写真上  Pankof岬とFurosty Peak(5820フィート)

 

針路前方には霧が出ている、雲の中からは雪をまとったフロスティー峰

「隠れた岩礁と霧」最悪の組み合わせだ

霧にまかれてもパニックにならない様、忠実に海図をトレースする

操業中の漁船数隻と交差する

写真上  振り向くと穏やかな「魔女たち」

 

14時、King Coveのハーバーマスターに無線で入港許可を求める

パナマ船籍の貨物船、日本人が乗っているそうだ

写真上  キングコーブ漁港と村

無線を聞き、日露漁業の高木さんが出迎えてくれる

筋子の出荷最盛期で徹夜作業が続いているという

写真上  日露の高木さん

写真上  陸上電力の設備(ショアパワー)

マリーナのような設備で電気も使える

オヒョウ(ハリバット)をいただき、バター焼き

ロール白菜ひき肉詰め

電気スタンドも明々と船室内を照らし夕食の食卓・・・都会生活だ

但し、村の周りの「ブラウンベアー」に注意しなさいと

 

この後、思わぬトラブルになり、10日も滞在することになろうとは・・・・

魔女に抱かれ錨泊

キングコーブ港(King Cove Harbor)へ針路をとるも北東風が強く進まない

疲労激しく2時間でギブアップ

避難錨地とあらかじめ考えていた、ウェストアンカー コーブへ針路を変更する

三人の魔女の一人「イサノットスキー ピーク」のふもとの入り江である

湾の入り口に古い座礁船があり、良い目印である

写真上 錆付いた座礁船

これを見た妻は「ここはいや・・・」と言い出す

確かに難破船を見るのはいやなものだ

少し前の嵐をおもうと・・・

 

さらに4海里ほど逆行しドラハーバー(Dora Harbor)に入る

こじんまりした入り江である

入ると瓢箪型にいったん、くびれているのでウネリも入りづらい

錨鎖を40メートル出ししっかり効かせる

岩壁に囲まれた清潔感いっぱいの場所だ

太陽が出、風も遮られポッカポカに温かい

シャワーを浴びバタリと倒れこむ

 

目覚めると食卓にキャベツの千切りが山盛りで

2センチほどの厚みのヒレカツがドサッとその上に置かれ

ワイングラス(本物のガラス)とワインが置かれていた

珍味のアペタイザーも並ぶ

今夜は妻の誕生日前夜祭である

デザートは虎屋の羊羹「おもかげ」の厚切りだ

 

オケラネット(外洋ヨットの無線ネットワーク)の常連

ヨットではなく本物の貨物船船長「笹田キャプテン」が

ウニマク海峡を通過中と連絡あり

明瞭に聞き取れ、私みょうにハイになる

この危険な海域で、こんなにリラックスしている私・・・エヘン!

 

夜中2時ころ船が奇妙な動き

風とウネリが逆で安定しない

外へ出てアンカーチェック・・・異常なし・・・漆黒の闇

 

夢を見た

クライマー仲間のOさん、お坊さんの衣装、一枚歯の高下駄

同じく妙に訳知り顔のS

昔付き合っていた女性

そして妻

私だけが、「喧嘩だ!冒険だ!探検だ!」とはしゃいでいる

そんな夢

「それにしても、風とウネリが逆さまだな・・・」と

夢の中でも思っていた

船長、最悪の選択・・・3

19時10分西風が最大瞬間34mをマークしてから

急に風は落ちた

風は落ちたのに西からコントロールしづらい波が

両舷を追い越し、そのつどコースを逸脱する

戦うことに疲れ果てへたり込みたい

潮時である・・・

潮も、波も、風も我々を島には寄せないと信じよう・・・

ヒーブーツー(漂流状態)の準備をする

23時高緯度の夏の明かりもやっと夜のモードに入る

妻にワッチ(見張り)を交代し

私は外で仮眠に入る

遠く航海灯が何個か見える

彼らも戦いに疲れているのだろうか・・・

写真上  7月29日03時光が戻ってきた

ウニマク島もはっきり見える

熱い甘いミルクでパワーを注入する

写真上  「ウニマク島の三人の魔女」・・・

この三つの氷をまとった火山がやっと全身を現した

写真上  Pogromni Volcano 標高6520フィート

花嫁のベール・・・

写真上  Shishaldin Volcano 標高9372フィート

威厳ある容姿・・・

写真上  Isanotski Peaks 標高8135フィート

個性的な存在感・・・

 

紀元前アレウト人全盛の時代から

何隻ものカヌーや船をほんろうし、あるものは海底へ

あるものは満身創痍にし、もて遊び・・・

 

そして今は微笑んでいる。

船長、最悪の選択・・・2

16時5分、ウガマク島(Ugamak Is.)正横

ウニマク海峡(Unimak Pass)横断のコースへ入る

 

急に風が上がる、西の風28メートル!・・・薄い霧で暗い海、波悪し

米水路誌はウニマク海峡のことを

「幅10海里(18km)の海峡、常に風の強い荒海で危険が横たわっている、東と北風により潮流は加速され・・・必ず潮汐表を見よ・・・」とある

 

コースは北東、ストームジブ(荒天用前帆)だけで追い波に乗り走るが、予定コースより4海里北へ流されている、実質北北東に流されている、西風でも北へ流されている

このままだと対岸にぶつかりそう

写真上  ウニマク海峡海図

海峡に入ると急に北へ流され

東南東に針路変更し、必死のドタバタぶりが分かる航跡

対岸のウニマク島が近づき、どんどん大きくなる

離れなくては・・・・

 

雲に隠れていたウニマク島の三つの火山が見え始める

隠れて見えない方が精神的に恐ろしくないかも知れない

アー・・・海が船尾で盛り上がる・・・・

 

山頂にかかる雲が強風の証しである

沿岸沿いに濃霧が発生している・・・ここで、あれは嫌だ、ごめんだ!

 

この風があのウオーリーウオー(Williwaw)の風なのか?

水路誌によると

「アリューシャン列島やアラスカ西部の山脈の風下側でしばしば起こる激しい山おろしのことである。このWilliwawはその猛烈さと、極端な突風性に加えて、その発生は極めて突発的であるから特に危険で、これは山の風上側で多量の空気が塞き止められ、それが突然おおいかぶさる大波の様に、山を越えて風下側に流れ出して来る時に起こる。

Williwawの吹いてくる方向はその地方の地形によるので、ある特定な地方でこれが発生するか否かはその時の気圧配置による。

この風の激しさと正確な風向とは、その影響を受ける沿岸と相対的な位置にある山地の険しさと、その位置関係による。」

 

アクタン島の二泊の休息は凶とでた、せめて一泊にするべきだった・・・

船長、最悪の選択・・・1

ウニマック海峡(Unimak Pass)は北のホーン岬と現地の人はいっている

濃霧や強風、非常に早い海流が航行を脅かす

巨大船、大型船も頻繁に航行している

韓国、日本海、オホーツク海、ベーリング海、北太平洋、米西海岸を結ぶメジャーなルートなのだ

 

アクタンハーバーからはベーリング海へいったん入りアクン島を大きく北に迂回するのが常道である

コピーを切り張りした海図を見ていて、近道を見つけた

 

アクン島とアクタン島の間、アクン狭水路(Akun Strait)を南東に下り、Avatanak Straitを東北東に抜けると前者のルートの三分の一の距離で済みそうだ

連れ潮で入れば、さらに時間を短縮しウニマック海峡に出られそだ

(「連れ潮」とは潮流と同方向へ航行、船速が増す・・・時刻と方向が鍵)

 

7月28日午前6時、霧は若干かかっているも、完全な凪であった

狭い水路に入ったとたん目の前の三つ連なった渦潮である

アッという間に吸い込まれ引き返せない

海図上 アクン狭水路(Akun Strait)詳細図

狭く、浅い水路の危険を察知出来なかった私のミス

 

妻を船室に入れ、ハッチをとじた

妻の安全もあるが、私の取り乱した顔を見てパニックになると困ると思った

 

潮汐表では引き潮の始まったばかりの時間なのに

渦潮の深さは3mから4メートルはあり

船首は立ち上がり船尾に波がせまる

両岸の岩礁は近い

洗濯機の中の玩具のヨットである

アビーム(横からの風)帆走、エンジン全開以上

渦にのみ込まれない様、渦の縁に船を持っていくと岩礁が迫る

三時間で2,5海里(4.5km)しか進まない

 

アヴァタナック狭水路に入ると

風は西に変わり追って(ランニング)23メートルと上がってきた

逆潮6,5ノット(時速12km)で全く進まない

連れ潮と勘違いしていたのだ!

ここも渦潮があり針路が一定に保てない

 

現在地確認のためオートパイロットを入れ

海図と島々を見比べたとたん

オートパイロットが破損(油圧系統がパンクしていた)

 

針路は大きく東にそりそうになり舵に飛付いたとたん

ワイルドジャイブ(主帆が暴れる)1回!2回!3回!

 

15時潮は逆(連れ潮)になり急に東北東へ走り出す

16時5分ウニマック海峡に入った

全身潮だらけ、耐え難い疲労・・・

10時間のドタバタ劇であった

 

英語に疲れて・・・2

夜、3回アンカーチェックに起きた、風がよく振れ回る

10時起床、異例の朝寝坊だ

レイジーな気分で、ここでもう一泊しよう

日本の短波放送で「14歳の女の子が水泳で金メダル・・・」と

 

船の周りは驚くほど汚い、湾口の工場から鮭の腸など流しているみたいだ

霧の間から見えた小屋は廃屋のようだ

雨が降り出し、気温11℃、風が西に変わり、少し強くなる

海面の汚物は見る見る湾の外へ流れていき、綺麗な海となる

 

海図に明日のコースを入れ、寝転んで読書・・・新田次郎「密航船水安丸」

カナダへの密航ドキュメンタリー風の本

ヴァンクーバー島の海図と見比べながらスリリングに読み進む

 

アンカーリング(錨泊)は本当に寛ぐ

今日は一言も英語会話なし・・・・

写真上  アンカーチェックに起き出すと工場の明かりだけが人の存在を示している

英語に疲れて

7月26日、税関でアラスカの州都「ジュノー」へ8月末まの期限付きの「パーミッション(航行許可証)」を発行してもらう

「ヒバリノさん」からダンジネス蟹の差し入れ、さらに中古海図、この海域で使用されている無線の周波数表を頂く・・・これはのちのち非常に役立った!

 

コーストガードで天候の確認をし、日水の小山さん、伊東さんに差し入れをいっぱい頂、見送られ11時50分離岸した

「お世話になりました・・・有難うございました!!」

12日間の「楽園生活」からの旅立ちである

湾を出て振り返ると

教科書に出てくる様な典型的な氷河跡の地形が刻まれている・・・写真上

先端からは川が滝となって海に落ちていた

写真上  フランスのヨット「ジャバデュー(Jabadao)」

日の丸を見て寄ってきた

小笠原・父島から来たといいフランス訛りの英語で話しかけてきた

「ダッチハーバーに寄り、君たちを追いかけるよ・・・」と

再会を約し分かれる

 

今夜は隣のアクタン島のAkutan Harbor に泊まろう

わずか3時間のセーリングである

心の隅に外洋に出て行く勇気がまだ湧いてこない自分がいるし

二人だけなら英語も必要ない

写真上 停泊灯

港の入り口に小さな魚加工工場がある

港といっても中規模の自然の入り江である

一番奥、深水9メートルに30メートルの錨鎖を出し

錨をしっかり海底に食い込ませた

差し入れのお陰で、すごい夕食「北海の珍味の山」である

 

静かな夜である

海岸に草原が広がり、小屋と柵がある羊でも飼っているのだろうか?

夜もふけ灯油の停泊灯に火が燈され

かすかに揺れる・・・心地良い眠りへ

ベーリング海の楽園・・・6

朝、漁師が船体をノックし「船を移動してくれ!」と大声

入港してきた漁船の「ルーム(係留場所)をくれ!」という

写真上  漁船を見て驚いた「飛行機を拾ってきたの・・・?」

「エ?フィッシュファインダー(魚群探知機)だよ・・・」と

上空から魚を探すみたいだ

アメリカ人の発想とスケールに驚かされる

写真上  右に水上機を載せた漁船、左に「オンディーヌ

写真上  気がつくと子供たち

子供たちの英語は分かりづらく、ちょっと困った

ダッチハーバーでは子供たちの数は極端に少ない

犬の数より少ないだろう

女たちも少ないが、男たちに混ざり対等以上に働く

賃金の高い僻地は出稼ぎの地でもある

写真上  運転席にシェパード

写真上  私(船長)を見る目より、犬や猫を見る目がなぜか優しい妻

写真上  「KIWI」が出航していく

我々「ヨッティー」は季節に追われているのだ

ベーリング海の夏は短い、早く本土に行かなくては・・・渡り鳥の様に

居心地の良い「楽園」から出るのは・・・怖いが・・・

マウンテンバイクの泥を洗い収納し、船内、甲板を戦闘モードに

海図に予定航路書き入れ、水路誌を復習し

燃料、食料を買い入れ、最後に、お世話になった皆さんに御挨拶がある

ベーリング海の楽園・・・5

久々の晴天だ

マウンテンバイクを持ち出し、少し遠出をする

妻は自転車に乗れないし

連日の宴会(日水の方、ヨッティーたち)の調理・接待疲れで昼寝

妻は太宰治の短編「饗応夫人」のようなひとで

「お客様には、最善のおもてなしを・・・」と

取り乱した様に・・・「義」のため・・・やりすぎと私は思うのだが・・・

「たまに一人もいいし・・・」と私は出かける

写真上  町の歴史館で見たのと同じ場所?

50年前の写真では、上架用スロープには潜水艦が乗っていた

写真上  泥道は乾いて埃っぽい

正教会の墓地に埋葬された人たちと、丘の上に埋葬された人たちとの、違いはなんだのだろう?

写真上  ウナラスカの町の対岸まで来た、写真左端に工場群、右対岸には給油施設、修理ドックとサプライヤーの店

船上生活で身体がなまっている、足がガクガク

ダッチハーバーの湾は奥が深く自然の良港だ

写真上  ラグーン、砂嘴の中の小さい湖(Summer Bay Lake)

ツンドラの地勢、湖は海と繋がっていて鮭が産卵のため上るという

ルアーと釣り竿を担いできたが

鮭は一匹も見えなかった

 

一人で自然の中に居る緊張感が心地良かった

一瞬の草原の風のザワメキ、野鳥の気配、風の匂い・・・

 

すべての兆候にハッとする・・・気の弱い、野生の熊みたいに・・・!!